SMで最初に当たる壁、それはSMと一言で言い表すには
あまりにも枝葉の広がりが多く、お互いを理解するのに説明が長くなる、
また「S」とか「M」とかだけで表現すると、勘違いが多くなるということでしょう。
よく「俺Sだから」とか「私Mなの」といった発言は耳にするようになりました。
世間一般にもSMという概念が浸透してきていることは非常に喜ばしく感じます。
しかし、じゃあ「Sとはなんぞや」「Mとはなんぞや」となると、急に雲行きが怪しくなります。
確かに、Sはサド、Mはマゾだから…となるわけですが、
じゃあ具体的に「サドって何?」「マゾって何?」と問われると、言葉は知ってても
その中身の理解が人によって違うこともあるわけです。
そこで、今回はこのSMに関する分類の仕方について、
特に当サイトではこう定義しましょうという意味合いも兼ねて考えていきます。
まず、大きな分類から考えましょう。世間一般で言うところのS、Mから始めます。
基本として、Sは攻める側(=攻め手)、Mは受ける側(=受け手)となるのは
何となくみなさんでもご理解のあるところでしょう。
ただ、このSという表現には2つの異なる大きな要素が混在しています。
最近では以前より格段に浸透してきましたが、その要素とはサディズムとドミナントです。
サディズム=加虐嗜好:苦痛や恐怖を与えるor苦痛に悶えたり怯えたりする姿を好む性質です。
ドミナント=支配嗜好:相手を意のままにコントロールしたり、理性を外すことを好む性質です。
そして、これに相対するように、Mにも2つの異なる要素が混在しています。
そう、マゾヒズムとサブミッシブです。
マゾヒズム=被虐嗜好:苦痛や恐怖を快感に変えることができる性質です。
サブミッシブ=被支配嗜好:相手に身を委ねて従うことに快感を覚える性質です。
もうお分かりだと思いますが、サディズムとマゾヒズム、ドミナントとサブミッシブが
それぞれ対をなし、一つの軸を形成してます。そして、この純粋な意味でのマゾヒズムは
きっとそんなに多くないだろう、とも予想しています。
多くのサイトではここで解説を終えていますが、さらに考えないといけないことがあります。
特に「M」で考えるとわかりやすいのですが、
ただの受け身とサブミッシブは違う、ということです。
つまり、「自分から積極的には動きませんよ」という攻め手ではないという意思表示に
「M」という言葉を使っていることが非常に多い印象を持ちます。
ちょっと前に、「SはサービスのS、Mは満足のM」というフレーズが浸透した時期がありました。
確かに軽妙な言い回しで納得もしやすいものではあると思うのですが、これが浸透した結果、
サービスをただ受けるように、自分からはあまり動かず相手に任せます、ということが
Mの一言に込められるようになってきました。
造詣の深い方たちからは怒られるかもしれない大雑把な言い方をすると、
サブミッシブというのはただの受け身ではありません。肉体の快感を越える精神的な快感を得るため、
ドミナントから普通の人が躊躇するような内容の刺激を提供されても、自ら受けて楽しむ
という方々を指す、と理解した方が良いように思います。つまりサブミッシブは性に積極的なんです。
もちろん、マゾヒズムも性に積極的と考えられますので、消極的な受け身とは異なることがわかります。
逆にドミナントは、サブミッシブを上手く誘導して性感を肉体刺激以上に増幅させることが
求められている、と考えてもらうと良いかと思います。
簡単に言えば、サブミッシブは受け身ではなく、快感に対して積極的・貪欲に進む性質でもあります。
結論としては、「M」と一般的に言った時にはただの受け身・マゾヒズム・サブミッシブと3要素があり、
マゾヒズム・サブミッシブの2つに共通している要素として、性に対しては積極的であるという
その多くがただの受け身を指していることが多いですよ、ということになります。
そして、逆に「S」で表現される内容には、サディズム・ドミナントだけでなく、
相手のことはあまり考えず自分の性欲に忠実です、という3要素が含まれていて、
相手の「M」が何を指すのか理解しきれずに「強い口調で言えばいい」「無理やり従わせたらいい」
「自分の好きにしたらそれを喜んでくれる」と勘違いしちゃうという現象が生まれることになります。
そう、ここに『心通ズル』という言葉の重要性が出てくるわけです。
一部例外はあるのですが、多くの場合においてマゾヒズム・サブミッシブは
自分が信頼した特定の相手に対しては概ね100%、そうでない相手には半分程度
(人や関係性により大幅に異なるのも事実ですが)の心の開きと受け入れをするように思います。
その分、積極性が出てきてそれぞれの本領を発揮します。
逆に言えば、精神的な繋がりがない状態では、マゾヒズム・サブミッシブに制限がかかります。
心を通わせ、できなかったことをできるようになっていく。それがSMの醍醐味でもありますね。
余談ですが、英語ではドミナント属性を持つ人をMaster(=ご主人様)、
サブミッシブ属性を持つ人のことをSlave(=奴隷)と表現します。
MとSが逆転してるのが、なかなか面白いですね。
閑話休題、さらに深堀りしていきましょう。
非常に細かい分類にはなるのですが、より深く理解したい方は、ぜひ一度この内容を考えてみてください。
マゾヒズムで考えるのが最もわかりやすいので、はじめに例示しますね。
マゾヒズムに至る過程を分類することで、より相手への理解を深めることができます。
大雑把に言うと、マゾヒズムの主体が自分なのか相手なのか、ということを考えます。
これだけだと言ってる意味がよくわからないので、具体的な言葉に変えますね。
・自己主体のマゾヒズム=「苦痛に耐えている自分が好き」
「自分は苦痛を受けなければならない」
「可哀そうと思われることが喜びになる」
・相手主体のマゾヒズム=「この人から受けた痛みで愛情を感じる」
「相手のものになってると実感する」
「相手の喜ぶ顔が見られるなら頑張る」
このような心理を考えてみると、実はマゾヒズムといっても様々な成因があり、
それぞれでマゾヒズムの質も異なっていることがお分かりかと思います。
このように、成因や心理を合わせて考えることにより、相手をさらに深く理解することができます。
そしてこの成因や心理を理解することにより、どんな相手にどれだけのマゾヒズムが出せるのかも
把握することができます。先ほどの例でいえば、自己主体のマゾヒズムをお持ちの方は、
ある程度身を任せられると判断した場合はきっとかなりのマゾヒズム成分を出せる一方、
相手主体のマゾヒズムは積み重ねやSM以外の要因も含めて人間として信頼して、
はじめてその本領を発揮できるということになります。
マゾヒズムは非常にわかりやすいですが、サディズム・ドミナント・サブミッシブにも
それぞれ自己主体か相手主体かがあります。ここまで考えてお相手に接することにより、
より分かりやすい相性判断などができてくるかと思います。
今回はだいぶ長くなってしまいましたね。次回は少し違うタイプについてもお話ししようと思います。